今の子どもには「生きる力」がない。
それは世の中が便利になりすぎたからだ。
今じゃマッチをつけることすらできない子どもが増えている。
包丁を使わない家すらあって、魚が切り身で泳いでると思ってる子もいる。
こんなことじゃあ日本の未来は不安だ、と。
マッチを上手に使って焚火をすること、包丁を上手く使って魚をさばくこと、海水を蒸留して真水を得ること、・・・これって本当に「生きる力」なんだろうか・・・?
この無人島キャンプの冊子の一番最初にはこんなことを書きました。
「このキャンプは何をするかが決まっていません。着いたら、探検に行ってもいいし、ご飯を作ってもいいし、海で遊んでもいいし、何をするかが決まっていません。でもここで気をつけてほしいのは何も決まってないから自分の好きなこと何でもしていいよってコトではありません。みんながてんでばらばらに、好きなことをしていたら、いつまでたっても、ごはんの準備も家を建てることもできません。どれも一人ではできないことです。それに、もし一人だけでどこかに行ってしまっておぼれたら、誰も助けに来てはくれません。
何をするか、は決まっていませんが、このキャンプはなんでも好きなことしていいのではなくて、何をすべきなのか?をみんなで考え、協力していくキャンプです。」
その一方で、「自由」にさせると何が起こるかわからないと、大人たちはためらってしまいます。
しかしこれではダメなのです。
知識を与えること、技術を教えてやること、と同じようにじっと見守ることだって同じくらい子どもに必要な栄養分だと思うのです。
自由とは 自分に由る (じぶんによる)ということです。
なんでもできるんじゃなくて、自分でする、ということ 。
こういう「本当の自由」を実感することが子どもには必要だと思うのです。
無限の環境の中に身を置いて、
自分の無限な可能性がどこにあるのか、
今の自分の限界はどこまでなのか。
これを知ってもらって、自分の中に大切な何かがうまれること。
これが無人島キャンプの狙いであり、本当の意味での生きる力だと思うのです。
無人島から帰る子どもたちが、
「あったかい布団の上で寝た~い!」というのも
「また来年も来たい!」または「こんなキャンプもうこりごりだ!」
というのも、全て子どもたちの成長だと思うのです。